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映画『奇蹟がくれた数式』感想 若き天才数学者の儚き一生

インドが生んだ天才数学者ラマヌジャンの生涯を描いた事実に基づいた映画

実は過去に1度見たんだけど現実とはいえあまりの不遇さ理不尽さに納得がいかず感想すら書けなかったw

先日、京大の望月新一教授によるABC予想の証明論文が査読を経て受理されたというニュースをきっかけにちょっと自分の中で数学ブームが巻き起こってて再び見てみた次第。

まあ再視聴してもやはり辛い内容なのは変わらないんだけど、これが彼の人生であり運命だったのかなと思いました。

奇蹟がくれた数式(字幕版)

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  • 発売日: 2017/03/24
  • メディア: Prime Video

インドの貧乏天才数学者ラマヌジャン

日本ではあまり有名ではないんだけど、数学界では知らない人はいないインドが生んだ若き天才数学者ラマヌジャン。彼の短すぎる生涯を描いた作品になります。

作品ではかなりの極貧ぶりが描かれてて海外渡航も無理そうな感じだったけど、実は上級カーストのバラモンの出身らしいです。カーストと貧富は必ずしも一致しないのかな。

学歴もなく職を得るのも苦労したラマヌジャンだけど、彼の数学能力を理解する上司に恵まれ仕事をしながら当時最先端の英国への留学が叶うことに。ただし時は第1次世界対戦勃発間近の1910年代半ば。結果的にこれが彼の運命を大きく左右することになりました。

この英国への留学が果たして正解だったのか否か、、、それは彼にも分からないんだろうけど結果を知っている身としては観るのが辛くなってくる。。。


数学において証明の重要さ

ラマヌジャンの高度な数学力に期待してインドからケンブリッジ大学に呼び寄せたのは英国の数学者ハーディ。そして彼の盟友リトルウッドもラマヌジャンの良き理解者となってくれました。が、それ以外の数学者からは煙たがれてしまう。

まあこれは有色人種への差別の壁ももちろんあったけど、ラマヌジャンには別の問題もあったんだよね。彼は天才過ぎてかなり難しい理論も直感で解いてしまって証明をしないw

数学において証明がいかに重要なのかはあのフェルマーの最終定理の証明に多くの数学者がその生涯を費やしてきたことからも分かるかと思います。

フェルマーの最終定理(新潮文庫)

フェルマーの最終定理(新潮文庫)



結局ラマヌジャンがどういう過程を経て難しい理論を解いたのかは彼自身にも説明できず、それが他の数学者から見れば余計に腹立たしかったのかもしれないです。

寝てる間に女神が数式を置いていってくれたとか言ってたけど、彼自身は母親の教育もあって熱心なヒンドゥー教徒なのでガチで言ってたんだろうな。。。

そんなわけで彼はハーディの後ろ盾で何とかケンブリッジ大学で学んではいるものの置かれた状況は決していいものではなかったわけです。


分割数の公式を編み出し王立協会フェローに選出される

そんな中、彼は分割数に関する公式を編み出します。

分割数というのはWikipediaによると以下のように説明されています。

自然数 n の分割(n をその順番の違いを除いて自然数の和として表す方法)の総数を表す数論的函数である。ただし、規約として p(0) = 1 および負の整数に対して p(n) = 0 と定める。

分割数 - Wikipedia

まあこれじゃ分からないよねw

例えば 4 という自然数は以下の5つの足し算の式で表わせる。(順番違いはカウントしない)

4 = 4
4 = 3+1
4 = 2+2
4 = 2+1+1
4 = 1+1+1+1

なので、自然数4の分割数は5ということになる。

これ、4だからサクッと書き出せるけど、10だと分割数42になって書き出すのも大変になります。

そして一般的に自然 n の分割数を計算する公式は当時なかったんだけど、これをラマヌジャンが編み出しちゃったわけです。

ラマヌジャン否定派の一人で分割数の専門家でもあるマックマーン教授は当然そんな公式あるはずがないというスタンスでラマヌジャンと勝負をすることに。

その内容は当時まだ算出されていなかった200の分割数を求めるというものだ。

結果はマックマーンの求めた200の分割数 1億9056万9292 に対して、ラマヌジャンの公式による計算結果は 190,569,291.996 誤差は小数点以下のほんのわずかで四捨五入すれば一致するという結果に。つまりこれ漸近式になってるんですね。

この勝負で否定派マックマーンも彼を認め、ラマヌジャンは英国王立協会のフェローに選出されます。インド人である彼が選出されることは当時では異例のことで大変な栄誉でした。


稀代の天才数学者の早すぎる死

王立協会フェローに選ばれ数学者としては成功した彼でしたが、そんな彼に病魔が襲いかかります。。。

菜食主義者だったラマヌジャンは大学の食堂が使えず自分で野菜を調達していたんですが、第一次世界対戦の勃発により食料調達が困難になり、理不尽な人種差別による兵士からの暴力などで次第に弱っていきます。

ハーディが異変に気づいた時はすでに重い結核へと進行しており、母国インドに帰国したものの1年後に亡くなってしまいました。。。

まあ医者が出した薬も飲まずに神に祈ってばかりだったのでしゃーない、ってのはあるなぁ。宗教の教えもあるから仕方ないのかもしれないけど、生きながらえる方法はいくらでもあったんじゃないかなと、、、

まあこれが彼の運命だったのかもしれないけどなんか複雑。数学界にとっては大きな損失であることは間違いない。

彼の死から50年以上が経過した1976年に彼の最期の研究成果が残されたノートが見つかり、それが数学界で解読され証明され、今ではブラックホールの研究などに役立っているのだとか。


タクシーのナンバー 1729

映画の最後、タクシーに乗ろうとしいてたリトルウッドにハーディがこっちのタクシーにしようと言うシーンがある。ハーディが示したそのタクシーのナンバーは1729

これは以前ハーディがタクシーが道に迷って遅れた時にナンバー1729ってのがつまらん数字だからだみたいなことを言ったんだけど、ラマヌジャンは1729は2通りの3乗数の和で表せる最小の数なので興味深い数字ですよ瞬時に答えてたんだよね。

ラマヌジャンの有名なエピソードの1つなんだけど、このエピソードにより1729はタクシー数とかハーディ・ラマヌジャン数と呼ばれてるのだとか。